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電車で急にお腹が痛くなった時に押すツボ

電車で急に差し込みに襲われることがあると思います。

腹痛を治すにはトイレに行くしかないのですが、電車ではそういうわけにも行きません。

薬を持っていればいいのですが、そういうときに限って持っていない。

全身から出る冷や汗がでるし、本当に辛いですよね。

そんな時、良い対処法があります。

腹痛に効くツボ

こんなときに、痛みを軽減するツボがあります。

「肓兪(こうゆ)」というツボです。

肓兪はおへその左右指一本分の位置にあります。つまり左右一対二ヶ所です。

ここを強く圧迫することで、腹痛を軽減することができます。

注意

西洋医学的観点からは、メカニズムはよくわからないので、僕自身懐疑的ですが、僕には効きます。

一応、巷で売っていたツボの本に書いてあったので、まあいいかという感じです。

あと、完全に腹痛が消えるわけでなく、あくまでも軽減されるだけです。やらないよりはマシ、ということ。

皆さんに効くか効かないか分かりませんが、ピンチの時は藁をもすがりたいもの。是非やってみてください!

会話形式をやってみた

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今日は新たな試みをしたいと思っております。

 

ということで、本日のゲストの内藤さん・本郷さんです!

 

内藤「ただいまご紹介に預かりました、内藤です。ブログの筆者が、ブログに会話形式を取り入れたいと懇願するので引き受けた次第です。私のようなもので務まるのかと大変心配しておりますが、精いっぱいやらせて頂きます。」

 

本郷「なぜ俺はここにいるのでしょうか。早く帰りたい。」

 

はい! お二方ありがとうございます。

 

早速ですが、本題に入りたいと思います。

 

ブログを会話形式にする利点・欠点は何ですか?

本郷「会話形式だと読みやすくなるよね。」

 

内藤「テンポが良くなるんだよ。話が軽やかに進んでいくから。」

 

本郷「俺もそう思ってたけどさぁ、早くも筆者のタイピングがここで止まってるんだ」

 

内藤「残念ながら、テンポよく読めてもテンポよく書くことは出来ないってことなのか?」

 

本郷「どうやら、そういうことらしい。第一、筆者はコミュ障だ」

 

内藤「コミュ障が対話体のブログ書いてるの面白いな」

 

本郷「全くの同意だね。でも、これやっているうちに筆者のコミュ障も治るんじゃないの?」

 

内藤「それは一理ある。苦しんで強くなって行け、と言ってあげたいね」

 

うるせぇうるせぇwww

 

本郷「筆者がなんか言ってるよ」

 

内藤「『うるせぇうるせぇ』だって。コミュ障だからそれしか言えないらしい」

 

本郷「残念なひとだなぁ」

 

内藤「ところで、会話形式って筆者の責任逃れの言い訳になるよね」

 

本郷「いきなり話が難しくなったぞ。小学生にもわかるように説明してくれないか?」

 

内藤「お前は小学生か」

 

本郷「いやいや、そいうことじゃなくて、対話体にしたら小学生も読者のターゲットにできそうだから」

 

内藤「なるほど、君はずる賢い。で、話を戻すが筆者の責任逃れのことだ。何故責任逃れかというと、発言の責任を本郷と私になすりつけられるからなんだ。」

 

本郷「ハハア、読者から批判があっても、筆者の野郎は『これは僕の意見ではなく、登場人物の内藤君の意見です』と言い逃れができる。」

 

内藤「小説とかドラマの手口と同じだよ。製作者は自分の意見を登場人物に言わせるんだよ。そしたら読者視聴者が勝手に感情移入してくれるっていうカラクリだ」

 

本郷「意外と筆者も頭が良いんだな」※

 

※あくまでも本郷さんの発言です

 

内藤「そういえば、会話形式って上手くやれば弁証法っぽくできるよね」

 

本郷「なんだベンショーホーって???」

 

内藤「齋藤孝の本に書いてあったんだけど、

 

弁証法とは、ひと言で言えば、正・反・合のステップによる論理展開法のことです。つまり、あるテーマに対して、まず「正」である賛成意見を述べ、続いて「反」である意見をぶつ議論形式にする。最終的には議論の成果である「合」を述べる、というやり方です。

 

なんだって。」

 

本郷「頭よさそう。。。」

 

内藤「筆者の一人が語りで弁証法やるの難しそうだけど、会話形式だとやりやすいんじゃないかと」

 

本郷「確かにそうかもしれない。我々二人が喧々諤々の議論をして、筆者は高みの見物を決めるわけだね。

 

内藤「しゃくに障るね」

 

本郷「仕方ないよ。我々の実態は筆者なんだから」

 

内藤「それを言ってはおしまい」

 

話の収拾がつかなくなってしまうのが結構つらいです(笑)

 

政治家を呼んで議論させてる番組の司会者の気持ちが分かる(大嘘)

 

とりあえず、今日はおわり!

 

「天は人の上に人を造らず」って福沢諭吉の主張じゃなくね?

福沢諭吉と言えば『学問のすゝめ』で有名です。特に冒頭の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という一節は小学生でも暗唱できると思います。

 

僕は昔からこの言葉が凄く嫌いで、福沢諭吉が大嫌いだったんですね。

 

現実には全然平等じゃないのに、福沢諭吉は「みんな平等だ」とかいう自由平等論をかざすなんて、とんでもない偽善者だな、といった具合です。

 

しかし、僕の方がバカだったんです。今まで一回も『学問のすゝめ』を読んだことが無かったくせに、そんなこと思っていましたから。一次資料を読まずに伝聞で判断するバカ。

 

実際、冒頭を読んでみると

 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり

 

となっています。全然意味が違うではありませんか!

 

どういうことかは、訳してみると分かります。

 

訳は

 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言われている

 

となります。

 

この書き出しは、評論文によくある「一般論はこうだけど俺はそうは考えてないぜ、俺、頭が良いだろう! ふっふっふ」的な香りをぷんぷん漂わせています。

 

そう。これはその後覆される一般論なのでした。

 

ちなみに、調べてみたら「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は「アメリカ独立宣言」の文言らしいですね。"all men are created equal"ってやつです。

 

実際、福沢諭吉はつづきにこう書いています。

 

されども、今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。

 

ちゃんと「実際はそうじゃないよな!」という分析してます。諭吉先生もそんなにバカじゃない。

 

そして、もっとも言いたいことが次にくるのです。

 

『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

 

ざっくり意味を取ると、賢い人と馬鹿な人の違いは勉強したかどうかによるよな! って感じで、まあ意見としては納得できる。

 

というか、この考え方って日本社会に広く浸透していますよね。小さいころは努めて勉強しなさい、と周りから口を酸っぱくして言われますから。

 

皆の共通認識としてあるから、一万円札に載せてもらえたんじゃないかな? みたいな。

 

どちらにせよ、諭吉先生は自由平等論者ではなかったみたいです。

 

ちゃんと一次資料を読まないとな、と痛感した出来事でした。

 

 

 

 

そんじゃ、あの。

『陽気なギャングが地球を回す』が知的すぎてinteresting!!

最近読んだ小説、伊坂幸太郎著のベストセラー『陽気なギャングが地球を回す』が超おすすめなので、その良さを伝えたいと思います!

 

 

良さ1:主人公のセリフが知的

とにかくセリフが知的で面白い!

 

主人公は4人組の銀行強盗なのですが、その中に、響野という演説の名人がいました。

 

その響野が、強盗に怯える銀行のお客さんになぜか演説を始める場面で、

 

「なめくじにも記憶があることはご存知でしょうか?」

 

と口火を切る。

 

僕もついつい「おや?」と、興味をそそられてしまいました。

 

この後、響野は

 

「記憶には手続き記憶、意味記憶エピソード記憶の三種類があるのは有名ですね。まず手続き記憶ですが、これは簡単に言ってしまえば、『自転車の乗り方』です。・・・」

 

と続けるのです。

 

小説を楽しんでいるうちに、記憶について知識を得ることができて、すごく得をした気分でした(笑)

 

というか、伊坂幸太郎はどんだけ物知りなんだ、というね。

 

どんだけ~

 

 

良さ2:主人公同士の会話も知的過ぎる

この小説を読んでいて、「こんな会話ができたら人生楽しいだろうな...」と何度も思いました。

 

例えば、ニュージーランドの話になった場面があります。

 

「これが終わったら、ニュージーランドに行くんだ」久遠が嬉しそうに声を上げている。

「また行くのか」助手席の成瀬が苦笑する。

「行くよ。いいところなんだよ。羊は多いしさ」

「羊の肉はうまいか?」と響野。

「食うことばかり考える人は、羊に食べられればいいんだ」久遠が不服そうに言う。

「羊は草食だろうが」

「とにかくさ、あそこはゆったりした国なんだ。同じ島国なのに日本とはずいぶん違う。そう言えば、もともとニュージーランドには鳥類と蝙蝠とトカゲしかいなかったんだってさ。平和な島だったんだよ。鳥と蝙蝠とトカゲだよ? 干支を作るにも作れないよ。平和だから、飛べない鳥が多いし」

「外から人間が動物を持ち込んだんだな。生態系というのは人によって壊される」成瀬は苦々しそうに言う。

 

なんて知的で面白い会話なんだ! と思いました。

 

とにかく作品中の会話はこのような調子で続き、読む人を飽きさせません。

 

それと同時に、日頃こんな会話をしたいな、という目標までできてしまう(笑)

 

だって、「食うことばかり考える人は、羊に食べられればいいんだ」という発言に対して、「羊は草食だろうが」と即座にツッコミを入れられるようになりたいですもん。

 

 

良さ3:ダイナミックな展開

あらすじの話を全くしていませんでしたが、とにかくもの凄いスピードで話が展開していきます

 

「え!?」というような意外な出来事が次々と起きて、ダイナミックで本当に面白い!

 

 

是非読んでみて下さい!

お勧めする理由を3つ書きましたが、僕としては面白さが伝わり切らなくて悔しいです! もっと上手い文章が書ければ...

 

とにかく良き小説です。是非!

 

 

名言に潜む病

先日、頭の良い友達と「文章を書く上で重要なことは何か」について話題に上った時、「意味が伝わるのが何よりも重要だよ」とドヤ顔で主張したところ、「理由は何だ?」と聞かれて言葉に詰まり、撃沈しました。

 

そもそも、僕が「意味が伝わるのが何よりも重要だ」とドヤ顔で主張したのはなぜか。

 

論語』にこういう一節があります。

 

子曰く、「辞は達するのみ」

 

どういう意味かというと、

 

先生がいわれた。「文章は、意味が伝わるのが何よりも大切だ」

斎藤孝訳『論語』ちくま文庫 2016年 

 

という意味です。

 

そして、会話中にこの言葉が脳裏をよぎり、「あの孔子様が『論語』でおっしゃっているのだから、そうなのだろう」という確信を得てしまった。そして、「意味が伝わるのが何よりも重要だ」とドヤ顔で主張してしまったのです。

 

 しかし、友達は頭が良かった...僕の甘さを的確に突いてきたのでした。

 

名言を知るだけで喜ぶ愚行

孔子様の「辞は達するべき」という名言は、説得力があります。

 

なぜ説得力があるのか?

 

例えば、医者に「お前は癌だ」と言われるのと、その辺のおじさんに「お前は癌だ」と言われるのでは、まるで説得力が違います。

 

同じように、孔子様が「意味の伝達が大事」というのと、僕が「意味の伝達が大事」というのでは、まるで説得力が違うのです。

 

そう考えると、名言は名言自体に意味があるのではなく、「実績ある人がその言葉を言ったこと」に意味があると言えそうです。

 

名言を知ったからと言って、それだけで喜んではならないのです。

 

名言の使い方

一方、使い方さえ間違えなければ、名言は強い味方になります。

 

名言に自分の経験を重ねてあげれば良いのです。

 

友人の「理由は何だ?」という質問に対しては、

 

「意味を伝えることを重視したブログ記事は、よく読まれる傾向にある。だから、何よりも意味を伝えることが重要だと思う。実は『論語』に「辞は達するのみ」とあって、僕もそれを実感しているよ」

 

と言う風に答えるべきでした。

 

しかし、「辞は達するのみ」に関して、僕自身、経験的裏付けをあまり持っていませんでした。だから、上記のように上手く返答することができなかったんですね。痛い経験をしました。

 

受け売りというのは恐ろしいものです。

 

ところで今、『論語』をパラパラとめくっていたのですが、こんな一節がありました。

 

子曰く、

「道に聴いて塗(みち)に説くは、徳を之れ棄つる也」

 

意味は、

 

先生がいわれた。

「どこかで聞いた善いことばをそのまますぐに受け売りで話してしまう者は、それを身につけることをしないのだから、徳をむしろ棄てていることになる」

斎藤孝訳『論語』ちくま文庫 2016年 

 

 です。

 

いやはや、手厳しい(笑)

 

受け売りは、やっぱしない方がいいです。名言を知るだけで喜ばないで、それを身につける努力をしないといけませんね!

 

(この引用は受け売りじゃないよね! 経験をともなっているからね!)

 

ということで、今日はこんな感じです! おしまい。

ブログ力とは買い物力だ

ブログを書くのに必要な力には大きく分けて2つあると思います。

 

1つは「ネタを発見する力」で、もう1つは「文章を書く力」です。

 

どちらの力も大切です。しかし、より大切なのは、1つ目の「ネタを発見する力」だと思うのです。

 

ネタは自然に降ってこない

僕が二週間休まずブログ記事を書いてみて分かったことがあります。

 

「ネタは自然には降ってこない」

 

ということです。

 

ブログを再開してから3日間は、まったくネタに困りませんでした。頭の中に今までの生活の中で得たストックがあったからです。

 

しかし、4日目以降は簡単には行きませんでした。

 

夜、編集画面を立ち上げても、何を書いていいか分からないのです。

 

試しにその日の出来事を思い出してみるのですが、特別変わったことをしたわけでもないし、新たな発見をしたわけではない。一日何をしていたんだろう? と少し悲しくなったくらいです。

 

人は8時間睡眠として一日16時間は起きています。16時間も起きているのだから、その中で発見の一つや二つがあってもおかしくない筈です。

 

しかし、現実は違ったのです。

 

このことから気づいたことがあります。

 

日々を漫然と暮らしていても、何も得られないんだな、ということです。

 

何かを発見しようと思っていないと、何も発見できないのです。

 

買い物の達人

買い物の達人と言えば、主婦の方々だと思います。主婦の方って買い物が凄く速くて、しかも的確ですよね。

 

どうして彼女たちは買い物が速くて的確なのでしょうか。

 

理由は2つあると考えています。

 

1つは「日ごろから欲しいもののイメージがしっかりしている」こと、もう1つは「何がどこに置いてあるか把握している」こと、だと思います。

 

特に、「欲しいもののイメージ」のレベルは大学生の僕などにとっては恐らく想像を絶するほど高いと思います。

 

主婦の方の買い物を見ていると、実に様々なジャンルの商品がポンポンとカゴに入っていくのが分かります。

 

今日の夕飯の食材、明日の朝食の食材、お弁当の具材、もうすぐなくなりそうなトイレットペーパー、安売りしていた洗剤、等々...

 

これだけ多岐にわたる必要品を具体的に記憶しているのは不可能でしょう。

 

では、どうやってこれらの必要品を漏れなくつかんでいけるのか?

 

それは「こういうものが必要だ」という日ごろからの意識だと思います。

 

日ごろから意識していれば、スーパーでそのコーナーを通り掛かったときに、難なく必要品をかごに入れることができるのです。

 

逆に日ごろから何も意識していなければ、それらの陳列品はただの風景と化します。

 

同じ陳列が「ただの風景」に見えるか、「必需品」に見えるか、これには「日ごろからの欲しいもののイメージ」が大きくかかわってくるのです。

 

日ごろから、発見を意識する

「発見」は自然に降ってくるものではなく、自ら掴んでいくものだと思います。

 

何か新しいことは無いだろうか? これとこれは、実は似ているのではないだろうか? これとこれは、実は似ているように見えて違うものなのではないだろうか?

 

と常日頃から意識をすることで、日ごろ「風景」として見過ごしていたものが、「発見」となって新鮮に見えてきます。

 

これは、まさに主婦の方の買い物力と同じではありませんか!

 

「ネタを発見する力」とはすなわち「買い物の力」

 

「ブログの力」とはすなわち「買い物の力」なのです。

富士そばのカツ丼から学べること

先日、先輩が「富士そばはカツ丼が旨い!」と言ってたのを聞いて、

 

「ソバ屋でカツ丼食べるバカがどこにいる」

 

と、心の中で思ったんですけど、結局どうしても気になって、今日、富士そばでカツ丼を食べました。

 

旨い!!

 

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第一印象は「玉子が綺麗だな」でした。

 

みずみずしく半熟感を感じる見た目です。拡大してみましょう。

 

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綺麗でしょ。

 

で、カツを食べてみると、すごく軽い感じ。たぶん、この玉子がふわりと包んでくれるおかげで、味に軽みが出るんだと思います。

 

カツ自体も凄くおいしいです。

 

タレがしみた部分と、サクサクな部分が半分ずつくらいで絶妙です。

 

とにかく旨い!!! ソバ屋のカツ丼なんて...とか舐めたこと言ってた自分が恥ずかしいです。

 

味噌汁かと思いきや...

写真にもある通り、スープもついてくるのですが、パッと見た感じは味噌汁です。

 

でも、飲んでみるとびっくり! そばのつゆがベースのスープでした!

 

こういうところで自身の専門性を忘れないところは好感がもてます。

 

吉野家とは大違いだ。過去記事参照↓

 

 

vagusnerve.hatenablog.com

 

 

 

ソバ屋なのにカツ丼が旨いっていうの、(・∀・)イイネ!!

実は僕は普段から富士そばを愛用しています。

 

だから、専門であるソバが十分に美味しいことは、よく分かっています。

 

でも、ソバだけではなかった。専門外のカツ丼がここまで美味しいとは!

 

この感じ、(・∀・)イイネ!! って思います。

 

専門バカではない懐の広さ

専門バカって、あなたの周りにもいますよね、困った奴ですよね。

 

法律バカは法律の話しかできず、美味しいごはんの話ができない。物理バカは物理の話しかできず、音楽の話ができない。

 

そういう人ってちょっと息苦しく感じます。

 

逆に、毎日数学の研究に明け暮れている数学者が、好きな文学について語っていたら、「この人、視野が広いな」と感じます。トップクラスのスポーツ選手が物理の勉強をしていたら、「スポーツが凄くて勉強家だなんて、なんて殊勝な人なんだ!」と思います。

 

専門分野へのプロ意識に加えて、専門外の分野への興味とかこだわりがある人って、なんとなく好感がもてます。

 

富士そばは、ソバという専門分野を売りにしながら、実はカツ丼もちゃんと作っているのです。素晴らしいと思いませんか?

 

見習わなきゃな、と勝手に思いました。

専門分野だけでなく、他の分野にも興味を持てる人になりたいと思いました。

 

また、カツ丼定食にさりげなく専門分野である所のそばつゆを挟んでくるところも見習いたい。これは、カツ丼とそばつゆは意外と合うんだぞ? というメッセージだと思いました。

 

他の分野で学んだことと、自分の分野を関連付ける姿勢、素晴らしいと思います。

 

富士そばのカツ丼でまた一歩成長できた

みんな、富士そばのカツ丼を食べような!

 

(完食の図)

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お値段490円。