失態を犯した時の謝罪方法:遅刻を例に
遅刻
一昨日の土曜は自分にとって最悪な一日で、その夜はやけ酒をしてしまって、風呂にも入らず寝てしまったことが敗因だった。
翌日の朝、起きてみると空が妙に明るい。
朝9:00からバイトだというのに、あまりにも太陽の位置が高いのである。
時計を観ると10:00であった。
なるほど、現在10:00であれば、9:00の予定に間に合う可能性は非常に低い。
間に合う唯一の方法は、光速よりも速い速度で移動することであった。
そのため、僕はおもむろに本棚からアインシュタインの『相対論の意味』という書籍を取り出し、丁寧に読み始めたのである。
しかし、そこに光速よりも早く移動する方法は載っていなかった。
この際、最後の砦は心理学である。いかに雇用主の怒りを収めるかが最もクリティカルな課題と考えられた。
失態の対応方法は4通り考えられる
以下の書籍の内容を根拠として記述します。
この本の内容を一部引用しましょう。
心理学では、私たちが人生で経験するミスや失敗のことを「窮地(predicament)」と呼んでいる。この窮地に陥ったときに、そのダメージを最小限に抑えるための印象操作の技法が、「防御的印象操作」である。
さらに、「防御的印象操作」で重要なのが適切な「言い訳」である、と書かれています。
確かに、しくじった有名人の謝罪会見を見ても、彼らの「言い訳」次第でその後の印象がガラリと変わるのは明らかでしょう。(円楽さんは上手かった)
その重要な「言い訳」ですが、これには4種類あるのです。
再び引用ですが、こういった基本公式があるようです。
言い訳=「自分の責任を認めるか否か」×「行為の悪質性・行為による被害を認めるか否か」
これらの観点から、「否定」「正当化」「弁解」「謝罪」の4種類の「言い訳」に分類されます。
それぞれ解説していきます。分かりやすく、遅刻の場合の例文を取り入れてみました!
否定:どちらも認めない
「否定」は自分の責任も、行為の悪質性やそれによる被害も、一切認めない対応です。
何か責任を問われても
「遅刻したという事実はありません」
と根っこから否定することを「否定」と言います。
正当化:自分の責任だけ認める
「正当化」は、自分がその行為をしたことは認めるが、その悪質性を認めない対応です。
「金を盗んだのは事実だが、悪い金持ちから盗み、善良な貧民に金を配った。私はいいことをしたのだ」
という鼠小僧のロジックがありますが、まさにこれが「正当化」です。
遅刻の例だと、
「私は遅刻をしましたが、困っている老人が階段を上るのを助けたから遅刻したのです」
といった具合になると思います。
弁解:行為の悪質性・及ぼした被害のみ認める
「弁解」は、自分のしたことの悪質性等は認めるものの、自分の責任は認めない対応です。
「遅刻をしてしまい、ご迷惑をおかけしたのは申し訳ないのですが、実は風邪をひいていて、うまく起きられなかったのです」
というのが「弁解」の例です。
謝罪:すべて認める
「謝罪」は、自分の責任も、行為の悪質性もすべて認める対応です。
「遅刻をしてしまいご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。すべて私の不注意によるものです。」
というのが「謝罪」の例である。
相手が怒っている場合はまず「謝罪」
以上の「否定」「正当化」「弁解」「謝罪」は状況によって使い分けるのが良いです。
しかし、相手の怒りをやわらげるという目的においては
「謝罪→弁解→正当化→否定」の順で良いとされています。
つまり、あなたの失態によって相手が怒っている場合は、とにかく「謝罪」をした方が良いということになります。
遅刻の例で考えれば、怒っている相手に、風邪の症状や助けたおばあちゃんの話をしても、その怒りは増幅するばかりです。
まずは「謝罪」をして、怒りを収めないことには、その後の冷静なお話し合いは出来ないでしょう。
怒っていなくても軽く「謝罪」が良い
相手との関係を良くするという目的でも
「謝罪→弁解→正当化→否定」の順で良いとされています。
相手が怒っていなくても、一旦「謝罪」を入れることは、今後の関係を良くするためにも重要なことなのです。
「謝罪」の後は徐々に「弁解」へ
いくら「謝罪」が良いと言っても、出来る限り自分の名誉を保ちたい、という場面もあるでしょう。
その場合、一通り「謝罪」をした後、軽く「弁解」に移行するのが良いと思います。
とはいってもやり過ぎは逆効果です。
遅刻したことを謝って謝って、やっと相手が「しょうがないなあ」となってきたときに
「実は少し体調を崩しているんです」と控えめに言うくらいが限界でしょう。
理想は「謝罪」だけで終わらせることなのです。そしてできるだけ同じ過ちを犯さぬよう、誠意を見せることが大事です。
「正当化」は特殊例
「正当化」に関しては、医師の診断書など本当に正当化できる根拠が必要です。
こういった事例は特殊です。
遅刻の場合、単なる寝坊の時は「正当化」するのはやめましょう。
電車の遅延なども「正当化」の理由にならない可能性が高いです。
「遅延を見越して早めに出てこい」と言われたら、されまでです。
いくらそれが理不尽だとしても、遅刻した手前、立場が弱いので仕方ないでしょう。
「否定」は論外
これはほとんど使うべきではありません。
というか、僕自身使うべき場面を想像できません。
まとめ
まずは「謝罪」をすることで、相手の怒りや、相手の不快感を最小限に抑えることが基本です。
もし必要であれば、その後「弁解」に移行します。
もし、正当化に足る根拠があれば「正当化」をしても良いでしょう。
以上、失態への対応方法でした。
2017/7/4 森見ますお
論破してください:情報リテラシーのための論理力
ネット上の有力者の意見に盲目的に迎合する人は、この情報化社会を生き抜く力はないと見える。
— 森見ますお (@morimi_store) 2017年6月28日
情報リテラシーが求められる現代社会
ネットの有力者による主張は私たちの行動に大きな影響を与えます。
彼らが世に放った主張の多くは、論理的かつ現実的で、さらには時代を捉えている素晴らしいものが多いです。
しかし、どんなに有力でも、どんなに説得力があっても、彼等にも論理の傷があります。
これら論理の傷を如何に見抜くかが、情報化社会を生き抜くうえで重要です。
いわゆる「情報リテラシー」と呼ばれる感性が大事なのです。
情報収集の作法
先にお断りしておくのですが、この記事は「ネット有名人批判」を目的とした記事ではありません。
誰でも論理の弱点はあります。当たり前です。論理の矛盾は良いことだとは言いません。
しかし、論理の矛盾があったところで、それを利用して発言者のすべてを否定することはハッキリと悪だと考えています。
人の発言のうち、理に適っている部分を取り入れつつ、論理破綻した部分は静かに無視する。
これが、作法というものでしょう。
論理力は知識でカバーできる
「自分は論理的じゃないから...」「論理になるのって難しそう」
と思う方もいるかもしれません。
なるほど、高レベルの論理力をもった人たちは、その天才性によって感覚的に論理を知覚しているかもしれません。
しかし僕は、論理力の大部分は正しい知識を得ることによって獲得可能だと信じています。
ということで、以下の問題を実践してみて下さい。
以下の文章を読み、論理的な批判を与えてください(論破してください)
1.
僕は塾講師のバイトをしている経験上、生徒の顔つきと得意科目には関係があるということに気がつきました。数学が得意な子はいかにも数学的センスがありそうな顔をしているし、英語が得意そうな子は、そういった気風が顔に出るのです。もし、目の前に5人の高校生を並べられたら、僕は確実に彼らの得意科目を当てることができる程には関係しているようです。もし当たらなかったとしても、それはその子の勉強が甘いからです。
2.
ところで、得意科目が性格に与える影響もあるようです。物理が得意な人は普段からエネルギーを保存をする省エネな性格であり、政治・経済が得意な人はカネに汚い、というのは嘘ですが、少なくとも人を論理的にする科目はあるようで、数学が得意な人は論理的です。なぜならば、僕のまわりで数学が得意な人は、みんな論理的だからです。
3.
話は変わるのですが、僕の努めている塾の塾長は以前は研究者をしていて受動喫煙の害について研究していたそうです。彼は僕に「受動喫煙はカクカクシカジカだから子供の発育にも悪いんだよ」と語ってくることが多いのですが、彼自身、子どもの多い塾の教室でタバコを吸いまくっていではありませんか! そんな輩の話など取り入れるに値しない暴論でしょう。
さて、論破する方法はたくさんあると思います。皆さんなりに考えてくださいね!
解答例
1.その主張は「先決問題要求の虚偽」に陥っている。「得意科目と顔つきが関係する」ことをまず最初に証明するべきなのに、いつの間にかそれが前提となっており論理破たんを起こしている。
【解説】
要約すると、
得意科目と顔つきが関係する。もしそうでないとしたら、その子の勉強が足りないのである。
といった論理展開となります。この論法を先決問題要求の虚偽と言います。
「得意科目と顔つきが関係する」ということを先に証明しなければならないのに、いつの間にかそれが前提と化し「もしそうでないなら、そいつの勉強が足りない」というすり替えを起こしているのです。
2.その主張は「性急な一般化」に陥っている。数少ない周りの人間の傾向から「数学が得意な人は論理的だ」という結論を出すのは性急と言わざるを得ず、一般性に欠く。
【解説】
要約すると
周囲の人のうち数学が得意な人はみんな論理的→数学が得意な人は論理的
となります。この論法を「性急な一般化」と言います。
自分の周囲の人の傾向など全世界的に見たらほんの一部に過ぎず、そこから何も論証を挟まずにその傾向を一般化するのは勇み足、ということです。
少ないサンプルの傾向を詳しく分析することで、ある原理を抽出し、それを一般化する、というプロセスがあればまだ説得力があります。
しかし、少ないサンプルの傾向を全く分析せずにそのまま一般化するのは、無理があるのです。
3.その主張は「対人論証」という詭弁である。「受動喫煙は子どもの発育に害」という塾長の主張自体を吟味せず、塾長自体を非難することで彼の主張すら棄却しようとしているのは論理的でない。
【解説】
要約すると
塾長は「受動喫煙は子供の発育に害」と主張するが、塾長自身が教室でタバコを吸い、子供に受動喫煙をさせている。そのような人の主張は取り入れるべきではない。
となります。これは「対人論証」という詭弁に分類されます。
人と論は切り離すべきで、人がどんな行動をしていようが論の正否に影響はない、という立場から考えれば、この主張は詭弁に当たります。
しかし、ある意味これは微妙な問題をはらんでいます。
どう考えてもこの塾長は最悪な人間です。
そんな奴の主張を取り入れるべきではない、という主張も、間違いとは言い切れないのが人間感情というものでしょう。
しかし、塾長は受動喫煙の害を研究してきたわけで、「受動喫煙は子供の発育に害」という彼の主張は論理的には正しいはずなのですが...
さあ、どうするべきなのでしょうか?
詭弁だと言っておいて、読者の皆さんに判断をゆだねる勝手を、どうかお許しください。
まとめ
3つの例文で、論理に関する知識を紹介しました。
この他にも論理に関する重要な知識は山ほどあります。今回紹介したのはそのうちの氷山の一角に過ぎません。
しかし、この数少ない例を知るだけでも、皆さんの情報リテラシーは格段に上がると信じています。
是非、この情報化社会をご自身の論理力で生き抜いて下さい。
2017/6/28 森見ますお
読書感想文におすすめの新書5選!!
「新書を読んで読書感想文を書きなさい」という課題が出たけど、どうすればよいか分からないという人は多いと思います。
そこで、読書感想文におすすめの新書を5冊厳選しました!
早速Go!!
1.福岡伸一『生物と無生物のあいだ』
科学者が書いたとは到底思えないような名文に唸る本である。
福岡伸一氏の詩的な感性と科学的な思考力が一冊に凝縮されている。
生物とは何か? という問いに対して壮大な答えを残した傑作だ。
いくらでも感想文を書く余地があるだろう。
こちらの記事にも詳しく書いたので読んでいただきたい。
2.内田樹『寝ながら学べる構造主義』
本当に寝ながら学ぶのは無理だが、タイトルに劣らずとにかく分かりやすい。
「構造主義」と言うと難しいイメージがあるが、これほど噛み砕かれた本はないと思う。
哲学にちょっと興味がある人なら、感想を書きやすいと思う。
3.羽生善治『決断力』
紹介しているなかで、最も早く読める。
「羽生さんレベルなら何十手先まで読めるんだろうな」
と思いきや、羽生さんが次の一手を決める時、直感を大事にしているそうだ。
世の中、考えても考えても無駄なことは多い。だから直感をあなどるなかれ!
一流の人が語ることは、やはり違う。普通に読んでいても、色々な感想が浮かんでくるので、感想文も書きやすいと思う。
4.谷岡一郎『確率・統計であばくギャンブルのからくり』
すべてのギャンブルは数学的現象であり、ツキや念力といったことには一切左右されない。
統計学的な感性を養うことで、物事に対する考え方が少し変わると思う。
「ギャンブル」というキーワード自体がキャッチーなので、感想文も書きやすいだろう。
(ちなみに、唯一ブラックジャックだけが儲かるギャンブルなんだけど、その必勝法が載ってるよ!)
5.本川達『ゾウの時間 ネズミの時間』
生物学ってこんなに面白いの? と思わず叫んでしまった一冊。
からだのサイズが違うと、時間の流れ方が違う。ゾウとネズミを例にとれば、当然大違いになるのだ。
サイズの生物学。生き物はサイズ抜きにしては語れない。
感想文には、読んだ後で生物学に対する印象がどう変わったかを書けばよい。
まとめ
本当はもっと紹介したい本があった。
でも読書感想文は「書きやすい」ということが大事である。
よって、5冊という制約をあえて自分に課すことで、厳選に厳選を重ねられたと思う。
これらすべての本は、宿題を片付けるという目的を果たすだけでなく、同時にあなたの教養レベルを上げることにも役に立つだろう。
以上。
森見ますお 2017/6/26
*1:文春新書
その薬は安全か?:医療系記事の倫理性
医学的なことに言及する記事をみて思うことがあります。
トピックは、特定の薬、手術、治験、放射線治療など様々ですが、インターネット上には、それらを取り上げて「何々は安全か危険か」を議論する記事があふれています。
しかし、大体の記事は数値による説明に欠いていて、ナンセンスです。
それを欠いている物は前提条件すらクリアしていない状態と言っても良いでしょう。
しかも、数値による説明を用いたところで、物事の安全性を判定することは困難です。
ですから、その前提すらクリアしていないものに読む価値は見出しにくいです。
否、読む価値が見いだせないというよりも、むしろ悪質とまで言えるのです。
そもそも「安全」か「危険」かという二元論ではない
ある物事が「安全」か「危険」かということを安易に判断することは、それこそ「危険」です。
「絶対に安全なもの」があるでしょうか?
ないですよね。物事には必ず危険が伴います。
そこで大事になってくるのが、どんな確率でどの程度の「危険」があるのかを評価することです。
数値は重要な判断基準である
どんな確率でどの程度「危険」なのかを知る重要な情報として、統計による数値、があります。
「車は危険か?」 という問題を考えるには、車の事故に関する統計を知らないことには判断できないでしょう。
ちなみに普通車の事故率は約0.04%、つまり10000回のうち4回です。
そのうち死亡する確率はずいぶん大雑把に計算して1%ですから、普通車に乗って死亡する確率は百万回に1回です。(データが怪しいので、間違っていたら教えてください)
「車が危険かどうか」の判断に数値は相当役立つでしょう?
しかし、数値は意味を語らない
しかし、この数値をどう見るかは人によって千差万別。
数値は確率を示しているだけで、それ自体に「安全」とか「危険」とかいった意味を含んでいるわけではありません。
数値はあくまでも数値であり、意味を語らないのです。
強いて数値が意味を語ることがあるとしたら、比較対象がある時です。
飛行機の死亡率は自動車の死亡率より低いことが知られています。
そのことから、飛行機の方が自動車よりも安全であることが言えます。
しかし、この結果からですら「飛行機は安全かどうか」を判断できないことに十分注意するべきです。
危険かどうかなど安易に判断するものではない
物事の危険性を判断する重要な視点である数値をもってすら、安全か危険か判断することはできないのです。
さらに言えば、その数値は不正確かもしれないのですよ?
物事が安全か危険かどうか、安易には判断できないです。
医学に関するものは一歩間違えれば大勢の人が死ぬ
この重大さは多くの人に認識していただきたいです。
しかし、インターネットの世界には執筆者の利益追求のためだけに、事実を歪曲している記事が多く見られます。
使っている統計は合っているが、その切り取り方による印象操作があったり、それこそ、「安全」「安心」といった言葉をまぶすことによる誘導があったり、様々です。
医学分野に関して、安易なことを流すのはやめて頂きたいとともに、読者の皆さんにおかれましては、十分注意なさるよう願うばかりです。
森見ますお 2017/6/26
センター国語必勝法:1年前80点だった僕が当日181点取った僕が必勝メソッドを説明します
こちらはネタだったんですけど、今回は本気で受験生向きに書いてみます。
(でも、センター試験ってもうすぐ終わっちゃうんだっけな?)
対象受験生は「主に現代文に苦しんでいる人」です。
まあ、以下に述べることは古典にもある程度はあてはまりますが...
本記事対象外の古典について
古文
助動詞、助詞、単語をコツコツ勉強せよ。完全な和訳はできなくても良いが、大体の意味をとれるように文章になれることも重要。
漢文
句形をひたすら勉強せよ。次に正しく書き下せるよう訓練せよ。
森見のセンター国語略歴
センター試験一年前、つまり高2終わりに受けたセンター同日模試は80点。
その後の努力の結果、当日の点数は181点。9割です。
国語力が無くても良い
センター試験一年前の点数を見てもらえば、僕に先天的な国語力が無かったことは明らかです。
それと同時に、当日の点数から、国語力が無くてもセンター試験の点数が取れることが証明されるでしょう。
センター国語はゲームだ
読解力がもともとある人はセンター国語なんてスラスラ解けます。
一方、もともと読解力の無い人が真面目に解こうとすると相当辛い試験です。
文章は難解だし、長いし、選択肢はどれもピンとこないものばかり。
で、もともと読解力が無い人が読解力を上げるには相当な努力が必要です。
当然時間もかかるのですが、受験生はいかんせん時間が無い。
読解力養成などに時間を取られてはいけません。
ここは、発想を変え、センター国語はゲームだ! と割り切るのが良いでしょう。
読解力を上げようとするのはムダ
いやいや、まず読解力をしっかり養成してから問題を解く方がスジが通ってるでしょう、と考えている人がまだいたとしたら要注意です。
そんな勉強はまったくのムダ。元々読解力が無いくせに、そんな時間のかかることに囚われていたら、数学とか理社のための大切な時間すら失ってしまいます。
読解力という言葉は、センター国語に関しては一切忘れること。
問題・選択肢にはクセがある
問題をつくっているのは、国語の神様ではなく、人間です。
あなたと同じ人間。
人間は元来、偏見に満ちていますから、当然人間が作った問題や選択肢は偏見に満ちたものになります。
神様じゃない限り、客観的な問題をつくれる人なんていないですよ?
選択肢には出題者独特のクセがあるんです。
センターの場合、大人数で作ってますから、そのグループとしてのクセが問題に滲み出ます。
あと、グループで作問していますから、多少メンバーが入れ替わってもそのクセは変わりっこありません。
作問グループのクセを見抜け
別に、僕は問題が偏っていてクセがあることを批判しているわけではありません。
むしろ、このクセは受験生の皆さんにとってはチャンスなんです!!!
だって、そのクセを研究し尽くせば、作問者の論理が分かるわけですから。
作問者の論理が分かれば自ずと問題も解けるというものでしょう?
過去問20年分を解くこと
クセを見抜くには過去問を解くしかありません。
何年分解くか? 5年では足りません。
20年分解くのです。
「センター試験 傾向」などとGoogleで検索してどうにかしようなんてもっての外。
そんなもん机上の空論にすぎませんから。
ノウハウというものは、体で覚えるものなんです。
だから20年分過去問を解くこと。
その時の注意として、ちゃんと80分計って、論説文、小説、古文、漢文すべて解ききる事。時間間隔も同時に体得しないと意味がありません。
センターに似せた系は解いてはならない!!!!!
いろんな大手塾から、センターに模した問題集が売られていますが、これらを解くとホンモノの感覚が鈍るので絶対に解いてはいけません。
あくまでもセンター試験のホンモノにこだわること!!!!!
過去問を解いた後は1年分ごとに自分なりの傾向分析をせよ
「とにかく実践あるのみ」と少々過激に書きましたが、実践だけではどうにもならず、理論も必要です。
さっきGoogle検索をもっての外、と書いたのは
人の考えた傾向分析など、あなたのものではないから読むだけ時間のムダ
という意図です。
傾向分析は自分でやって初めてその理論が身につくもの。
人の考えた理論など、確認用に過ぎません。
ちと、まとまりに欠けましたが、僕の日本語力の問題です。(センターは日本語力など無くても9割超えます)
でも言いたいことは
- 実践あっての理論、理論あっての実践
- 理論は自分で構築せよ。人の理論は確認用
20年分解き終えたなら、選択肢が浮き上がって見えます
これは本当。経験者ですから。
以上。お勧めの参考書はZ会
過去問は赤本より河合の解説がベター
解説のクオリティーは問題傾向を分析する上で重要。
河合の黒本をおススメします。
これなら25年分解けますねっ!
以上です。
2017/6/25 森見ますお
国語入試問題必勝法
タイトルにつられて思わずクリックした受験生がいたら大変申し訳ない。
はっきり言うが、この記事は受験に全く役立たない。
こんな記事を読んでいる暇があったら勉強した方がマシである。
清水義範『国語入試問題必勝法』
この本について、日垣隆は『つながる読書術』という著書でこう紹介している。
とにかく笑える。自分の作品が国語の試験問題に使われた作家で、全問解けた人はいないらしい。私も然り。五〇字以内で主人公の気持ちがまとめられるなら、わざわざ本なんて書かない!
こう絶賛している。
短編集であり、その中に国語入試問題必勝法という小品が収録されている形だ。
腹筋崩壊間違いなし。今日はこの本に収録されている作品の中から3つ選んだ。それらを簡単に紹介していく。
1.猿蟹合戦とはなにか
一番最初に収められている作品。
古文調に書かれているのがなかなか面白い。
猿蟹合戦を組織力の物語というのは馬鹿げているらしい。
その代わりに、猿蟹合戦は何の物語なのだろうか。
清水の答えに、笑いを誘われながらもうなずいてしまった。
なんと、猿蟹合戦には男女の闘争という主題が隠されている、というのだ。
さらには、猿蟹合戦には性欲の象徴がちりばめられている、との主張も(笑)
なぜか? それは読んでのお楽しみである。
2.国語入試問題必勝法
選択肢問題の解き方。
長短除外の法則
長い選択肢や短い選択肢はまず除外する、という技。それらは受験生の目につくから、出題者はそれを答えにしたがらないそうだ。
正論除外の法則
いかにも立派な正論めいたことが書いてある選択肢は除外する、という技。正論で受験生を翻弄したいという出題者の手口らしい
嘘つけww と突っ込みたくなるが一理ある。
ウィット・含蓄、ともに豊富な作品である。
3.靄の中の終章
語り手は認知症の爺さんである。
腹がへって目がまわりそうである。起きてからもうかなり時間がたつというのに、まだ朝食を食べていないのだ。
(中略)
掃除機をかかえて私のいる縁側に続く座敷にやってきた加津子さんに私は怒りをおさえた声で話しかけた。
「加津子さん」
「はい」
(中略)
「一体、いつになったら私に朝ごはんを食べさせてくれるんだね。もう腹が減って我慢ができんよ」
この後爺さんは息子の嫁、加津子さんに「さっきご飯を6杯も食べたばかりじゃないですか」と諭され、赤面することになる。
爺さんは自分が馬鹿にされたと思い、憤りを感じる。
なぜこんなに馬鹿にされなければならないのか考え込んでしまう。
私は暗い気持ちでぺたりとすわり込んだまま黙って考えていた。
妙に頭がぼんやりして、なかなか考えがまとまらない。
腹がへっているから思考がまとまらないのだ、と私は思った。起きてからもうかなりの時間がたつのに、まだ何も食べていない。
こういう風にして、さっきのことを忘れてしまうのか...
清水の発想の勝利ともいえる秀逸な作品。是非ご堪能あれ。
まとめ
清水義範の作品はまだまだ面白いものがたくさんあるので、おいおい他の著書も紹介していきたい。
2017/6/25 森見ますお
芥川先生が凄過ぎて僕は桃太郎が書けない
物書きの端くれとして、桃太郎は絶対に書かねばなるまい
— 森見ますお (@morimi_store) 2017年6月23日
おとといこんなツイートしたんですけど、とんでもない。
身の程を知れ!
ブログ始めて2ヶ月も経ってないくせに、ったく、ビギナーはうぬぼれるんですよ
上を見ろ上を。すげぇ奴等がゴロゴロいるんだから。
過去の自分にそう聞かせてやりたいです。
はい、
では、本題に入るんですが、その前にこの記事の内容は
芥川龍之介の桃太郎が面白すぎる。
という一文に要約できます。
いやぁ、まいった。
まずは僕の書こうとしていた桃太郎の構想をさらします
おとといの時点では本気で桃太郎のパロディーを書こうと思っていたのです。
その動機はツイートみたいな意識高い系イキりみたいなのじゃなくて
ちょー面白い発想思いついちゃったんだけど、俺って天才じゃね?
といううぬぼれなんですね。
で、そのちょー面白い発想とやらは、
皆が知ってる桃太郎は桃太郎を賞賛してるけど、逆に鬼かわいそう的な感じにしたら面白くね? なんというコペルニクス的転回だ! 森見ますおは万世一系の天才にして侵すべからず! 新規性、意外性、共に100点満点。即刻書くべし!
残念、自分の思いついたことなど、大体誰かがすでにやっているんです。
鬼かわいそう的視点、芥川先生がすでにやっている
それでは引用
鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだった訣(わけ)ではない。実は椰子の聳えたり、極楽鳥の囀ったりする、美しい天然の楽土だった。こういう楽土に生を享けた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽的に出来上がった種族らしい。
うわあああああ
やられたぁぁぁぁ
しかも、鬼、平和を愛していたんかいwwwwwww
そりゃ、桃太郎に攻められたら可哀想すぎるwwww
僕もここまでコペルニクス的な転回をしようとは考えていませんで、
完全に芥川先生に敗北した形になります。
ああ、南無阿弥陀仏...
しかし、芥川先生の追撃はさらに強烈なものでした。
突っ込みどころを的確に突っ込んでくる!!
桃太郎のお供、犬猿雉、の性格は三者三様、みんな曲者で人間臭いところが面白いんですが、特にこのエピソードが印象的。
欲の深い猿は円い眼をした。
「宝物? へええ、鬼が島には宝物があるのですか?」
「あるどころではない。何でも好きなものの振り出せる打出の小槌という宝物さえある。」(森見注:桃太郎のセリフ)
「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいる訣ですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行ってください。」
桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐の途を急いだ。
こういう、みんなが一瞬思ってやめる様な事、さりげなく全部回収していくんですよね。
それがみんな秀逸で、電車の中なのにニヤニヤしていました。完全に怪しい若者。
しかしながら、芥川先生はこんなギャクだけで済ませるお方ではありません。
含蓄が深い
オヤジギャグに限りなく近いような先ほどの例だけでなく、考えさせるような深い内容も多く、芥川龍之介の人間としての広がりを感じます。
鬼のセリフを引用しましょう...
「お前たちも悪戯をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? (中略) ・・・男でも女でも同じように、嘘はいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚は強いし、仲間同士殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」
ああ、先生は人間というものをこのように観察しているのですね。
書きながら先生も悲しかったのでしょうか?
ああ色即是空空即是色。
まとめ
このようなものを読んでしまっては、僕は到底桃太郎を書く気にはなれません。
せめて皆さんには芥川龍之介の桃太郎を読んでいただきたい! そう思って紹介させて頂きました。
いかがでしょうか。
ちなみに芥川龍之介の作品は著作権が切れていますので、無料で読むことができます。
以下のリンクは青空文庫に飛ばしてありますので是非どうぞ。
画面で文章読むのが苦手な人は、こちらの岩波文庫をどうぞ。(有料ですが)
2017/6/25 森見ますお