人工知能に病気は診断できるのか
毎日毎日病気の勉強ばっかりしていて、自分までが病気になりそうだ。
実際、世界的に見て30%の医学生は精神的な問題を抱えてしまうらしい(要出典)
うーーん、勉強が辛すぎる…もう何もやりたくない…
うつの度合い
医学部の勉強が辛すぎて憂鬱になっている医学生は僕以外にもたくさんいる。
その度合いは人それぞれで、ちょっと怒りっぽくなる程度の人から、ごはんの味がしなくなってしまう人(うつ病予備軍??)、趣味を含めて何もかもやる気をなくしてしまうレベルの人(うつ病)までいる。
ふとここで疑問が浮かぶ。
どこまでがうつ病じゃなくて、どこまでがうつ病なんだろう???
「病気」ってなんだろう?
「病気なんて常識的に考えて普通じゃない状態だろ、めんどくせぇ奴だなwww」
と思われるかもしれないが、意外と「病気」という概念は難しいものだ。
「病気なのか病気ではないのか分からない事例」はいくらでもあるからだ。
例えば、
「胸が大きすぎるので、小さくしてほしい」
と言って形成外科を訪ねる女性がいる。
果たして彼女は「胸が大きすぎる病気」だろうか?
感覚的にはこれは「病気」ではないと思われるかもしれない。
しかし、もしこの人が次のように訴えたらどうだろうか。
「胸が大きすぎて重く、それによって肩が凝って辛い。仕事に支障がでる」
こうなると、うーーーん、これは...
このケースだったら、「病気である」と判断する人がいても良い気がする。
他にも「病気か病気でないか判断が難しいもの」はいくらでもある。
一重瞼を嫌う人は多いが、一重瞼が「病気だ」と考える人は少ない。
しかし、一重瞼の人はまつげが目に入りやすい(目が傷つきやすい)、という事実を考えると「病気」と言えるのである。
こういった事例をキリがないが、要するに「病気って意外と難しい」ということである。
うつ病の診断だって、判断に迷う症例だらけで難しいはずだ。
人工知能の限界?
人工知能は究極まで進化すれば万能になるのだろうか?
実は人工知能には、「フレーム問題」という課題が指摘されていた。
フレーム問題とは「人工知能は所詮限られた情報処理能力しかないのだから、現実世界の複雑な現象の全てに対処できない」というものだ。
「フレーム」とは「枠組み」のことである。
はっきりとした「枠組み」のある「オセロ」や「将棋」において、フレーム問題は生じない。
しかし「肩こりを伴う巨乳は病気か」「姿勢の悪くなる巨乳は病気か」「Zカップは病気か(18kgもするらしい)」などといった問題に関しては、専門家がいくら知恵を絞って「一応すべての可能性は潰せたよな!」という同意に至っても、しばらくすると誰かが「いや、こういう場合も考えられないか?」と言い出すからキリがない。
現実世界にははっきりとした「枠組み」がないのだ。
こういった問題に人工知能は対応しきれないのではないか、もしくは、すべての可能性を洗い出そうとすると機械のスペックの限界を迎えるのではないか、というのが「フレーム問題」なのである。
「〇〇を伴う巨乳は病気か」問題は、人間の医師であれば「常識」でもって判断しているところを、「常識」を持たない人工知能には判断できない、というのである。
最近の人工知能には限界など無い!?
「フレーム問題」が強調され過ぎだ、という見方も一方ではある。
「フレーム問題」はすでに解決されている可能性もあるからだ。
そもそも「フレーム問題」が言われだした当時の人工知能と、今主流となりつつある人工知能は本質的に違うようだ。
昔の人工知能は、人間が「このルールで考えてね!」と指定していた。
しかし、今の人工知能は、人間がルールを教えなくても、目標さえ設定してやれば彼ら自身が問題を解くうえで本質的なルールを見つけ出してしまうらしい。
これは革新的なことである。
人間が決めるルールなど所詮は穴だらけである。
人間は、穴だらけのルールを与えられても、状況に応じて「柔軟」に判断することが出来るが、機械には人間の穴だらけのルールを「柔軟」に判断する能力がない。
フレーム問題の本質はこの部分にあると考えられる。
しかし近年の人工知能は、機械が自発的に「穴のないルール」を探してきてしまうのである。
こうなれば、フレーム問題は解決した、という見方も可能かもしれない。
人工知能に診断はできる?
私見としては、
「人工知能の診断は、人間の感覚と限りなく近づく」
と考えている。
つまり、フレーム問題は解決され、「〇〇を伴った巨乳」のような悩ましい患者に対しても、世間感覚から乖離することなく診断ができるようになると思う。
やはり、自分で適切なルールを発見できるディープラーニングの力は今後伸びてくるはずだからだ。
ただし、人工知能だけであらたな診断基準を生み出せるかどうかに関しては、慎重に考えなくてはならないと思う。
人工知能は病気にならないから、彼等が人間の病気を規定することは筋違いだろう。
どこまでが病気でどこまでが病気ではないのか、を決めるのはいつの時代も人間である。
確かに人工知能が新たな診断基準を提案することはあるだろうが、それを受け入れるかどうかを決めるのも、やはり人間だろう。
結局、いくら人工知能の診断能力が上がっても、それが社会情勢と合致しているのか常に監視する必要性は出てくる。
今後の人工知能情勢にはこれからもアンテナを張っていなければならないだろう。
(あーー勉強したくない…)