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【失敗から学ぶために】論語の格言を集めました!

失敗は誰にでもあること。

 

誰にでもあることだからこそ、「失敗をどのように捉えるか」が重要だと思います。

 

この記事では、今まで多くの人に影響を与えてきた古典論語から、失敗に関する格言を紹介します。

 

 

 

失敗から学ぶ格言集

失敗を改めないことが、なによりの失敗だ

子曰わく、

「過まって改めざる、是れを過まちと謂う」

(しいわく、「あやまってあらためざる、これをあやまちという」)

 

訳:先生がいわれた。「過ちをしても改めない、これを本当の過ちという」

 

失敗をしてしまうこともある。

しかし、それを改めて次に生かさないことが、本当の失敗といえる。

 

という風にも読み替えられるのではないでしょうか。

 

 

失敗をしないためには

子曰わく、

「約を以って之れを失する者は、鮮し」

(しいわく、「やくをもってこれをしっするものは、すくなし」)

 

訳:先生がいわれた。「心をひきしめていて失敗する人は、ほとんどいない」

 

油断は失敗のもと。

 

失敗してしまった時は、自分に油断がなかったかを見つめなおしてみるといいかもしれません。

 

 

人は失敗の種類でわかる

子曰わく、

「人の過ちや、各おの其の党に於いてす。過ちを観て、斯に仁を知る」

(しいわく、「ひとのあやまちや、おのおのそのたぐいにおいてす。あやまちをみてここにじんをしる)

 

訳:先生がいわれた。「人の過ちは、人物の種類によって異なる。過ちの種類を見れば、その人に仁があるかないかは、わかる」

 

「仁」とは一切のものに対して思いやりのある心を言います。

 

それがあるかないかは、失敗の種類でわかる、という言葉です。

 

今まで自分がしてきた失敗を分析してみると良いかも知れません。

 

 

失敗は認め、反省しよう

子曰わく、

「已んぬるかな。吾れ未まだ能く其の過ちを見て、而も内に自ずから訟むる者を見ざる也」

(しいわく、「やんぬるかな。われいまだよくそのあやまちをみて、しかもうちにみずからせむるものをみざるや」)

 

訳:先生がいわれた。「ああ、もうおしまいだなあ。自分の過ちを認めて心の中で自分を責める人を、私は見たことがない」

 

孔子は、自分の過ちを認めて責任を感じる人がいないことを嘆いているのです。

 

自分の過ちを認め、責任を感じることができる立派な人は昔からそんなに多くなかったのでしょう。

 

 

忠告者がいることは幸せなこと

「丘や幸なり。苟しくも過ち有れば、人必ず之れを知る」

(「きゅうやさいわいなり。いやしくもあやまちあれば、ひとかならずこれをしる」)

 

訳:「私はしあわせ者だ。もし過ちがあれば、誰かがきっと気づいて教えてくれる」

 

孔子様だって失敗してしまうことがあります。

 

この一節は、孔子が知識不足のために人物評価を誤ってしまったとき、孔子の弟子づてで過ちを指摘されたあとの場面です。

 

間違いを指摘されたとき、「気づいて教えてくれる人がいて幸せ」と感じる人物の大きさは、見習いたいものです。

 

 

君子と小人の違いその1

子曰わく、

「君子は諸れを己に求め、小人は諸れを人に求む」

(しいわく、「くんしはこれをおのれにもとめ、しょうじんはこれをひとにもとむ」)

 

訳:先生がいわれた。「君子は事の責任・原因を自分に求めるが、小人は他人に求め、責任を転嫁する」

 

責任転嫁は見苦しい。

 

自分の胸に手を当てましょう、というお言葉。

 

 

君子と小人の違いその2

 

子夏曰わく、

「小人の過まちや、必ず文る」

(しかいわく、「しょうじんのあやまちや、かならずかざる」)

 

訳:子夏がいった。「小人が過ちをすると、必ずとりつくろってごまかそうとする」

 

こちらは孔子のお弟子さん、子夏の言葉です。

 

一方君子はというと、、、

 

子貢曰わく、

「君子の過まちや、日月の食の如し。過まつや、人皆な之れを見る。更むるや、人皆之れを仰ぐ」

(しこういわく、「くんしのあやまちや、じつげつのしょくのごとし。あやまつや、ひとみなこれをみる。あらたむるや、ひとみなこれをあおぐ」)

 

訳:子貢がいった。「君子の過ちは、日食や月食に似ている。君子は自分の過ちをごまかしたりしないので、日食・月食のようにだれの目にもはっきり見える。すぐに欠けたところが改められるところも似ている。再び輝きを取り戻した姿を人々は仰ぎ見て尊敬をする」

 

君子は過ちを犯してもごまかさないので、みんなに丸わかりだと言うのです。

 

しかし、君子はすぐにそれを改めるのでみんなに尊敬される、というわけです。

 

子貢は孔子のお弟子さんです。

 

君子の過ちを日食とか月食に例えるとは、さすがは孔子の弟子、素晴らしい感性をしていて感動します。

 

 

 

終わりに

引用でいっぱいになってしまいましたが、論語の言葉のすべてに目を通して、必要な言葉だけを引用するのは骨の折れる作業でした。

 

論語』は現代の私たちにも大変役に立つ古典です。

 

是非参考になさってください。

 

最後に、引用元とさせて頂いた齋藤孝さんの訳本を紹介させて頂きます。

 

 

失敗の原因を分析する方法

 

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vagusnerve.hatenablog.com

 

この記事では、上に掲載した記事の内容を掘り下げます。

 

この記事の目標は、

 

「失敗の原因を効率よく分析する」

 

です。

 

5つの効果的な質問が効率的な分析を可能にする

失敗の原因を、あーでもない、こーでもない、というように漫然と考えるのでは、明確な答えが得られず、時間ばかりが無駄になってしまう可能性が高いです。

 

このようにならないための方法が「効果的な質問」です。

 

この「効果的な質問」を、失敗した人に投げかけることで、効率的に失敗原因を突き止めることができます。

 

自分に投げかける場合は、自問自答という形になります。

 

それでは、その10個の質問を順にみていきましょう!

 

 

未知な要因または予測不可能な要因があったか?

世の中には誰も知らないことや誰にも予測できないことがあります。

 

そして、その結果失敗してしまうことだってあります。

 

失敗がそういった要因によるものでないか、考えてみる価値は大きいです。

 

無知が原因だったのではないか?

ある知識を知らないがために失敗してしまうことがあります。

 

また、すでにその失敗を防ぐ方法があったのにも関わらず、不勉強でそれを知らないために失敗してしまうことがあります。

 

この質問を通して、知識不足がなかったのかを調べてみて下さい。

 

ミスを誘発する状況があったか?

その失敗がミスによって引き起こされたのであれば、そのミスを誘発した要因を突き止める必要があるでしょう。

 

例えば、「締め切り時間に追われている」であるとか、「体調が悪かった」などが考えられます。

 

判断基準は適切であったか?

物事を推し進めるうえで、多くの判断をする必要があると思います。

 

そもそもその判断基準(価値観)がおかしいと、何をやっても失敗してしまいます。

 

また、あなたの価値観がおかしくないとしても、あなたの属している集団の価値観とずれてしまうと、失敗することがあります。

 

手順が間違っていなかったか?

物事を推し進めるときの手順を間違えたり、ずさんであったり、そもそも手順を考えていなかった場合、失敗する可能性が高くなります。

 

手順は自分で決めることもありますが、組織的に約束された手順も多く、その手順を守らないことで失敗する場合も多いです。

 

このようなことも含め、手順は適切だったか考えてみるといいかもしれません。

 

 

まとめ

この記事の内容をまとめます。

 

まず、失敗原因の効果的な分析をするための考え方として、

 

  • 漫然とした失敗原因の分析は効果が低く時間の無駄である
  • 失敗原因の分析には効果的な質問が重要である

 

ということを書きました。

 

そして、効果的な5つの質問として、

 

  • 未知な要因、予測不可能な要因はあったか
  • 無知が原因だったか?
  • ミスを誘発する状況がなかったか
  • 判断基準は適切であったか
  • 手順が間違っていなかったか

 

を挙げました。

 

この記事では終始、偉そうな口を叩いてしまって大変恐縮ですが、皆さんのお役に立てればと思います。

 

最後に、この記事を書くにあたって参考にさせていただいた本を(今回は1冊だけですが)紹介させて頂きます。

 『本当に役に立つ「失敗学」』畑村洋太郎 

 

失敗を適切に対処するのに重要な「鈍感力」

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vagusnerve.hatenablog.com

 

前回の記事に引き続き、「失敗を次に生かす方法」について考えていきます!

 

どうぞよろしく

 

前回の記事で、

 

失敗した事実に鈍感になろう!

 

と書きました。

 

そして、この力を「鈍感力」と名付けました。

 

ここまでくると、正常な人間ならば

 

「鈍感力とかイミフ」

「言葉がカッコいいからって、いい気になってるんじゃないの?」

「なんか新しいことばなんか作っちゃってぇ~」

「イキってる意識高い系かよwwwwまじで草www見てて痛いわぁ~」

 

という感想を持つはずです。

 

ですから、そのような声にお応えするために、「鈍感力」とは何か「鈍感力」がなぜ重要かどうすれば「鈍感力」が身につくか、について掘り下げていきたいと思います。

 

「非難」と「後悔」により、正しい解決策を見失う

非難

失敗をすると、周囲の人が「非難」してきて「ぴえ~~ん」ってなりますよね。

 

「このミスは未然に防げたんじゃないの?」

「何でこんなこともできないんだ!」

「これを間違えるとは、知識が足りなすぎる」

 

こういう声をずっと聞いていると、

 

わかったからだまっててくれぇぇぇぇええええ

 

と、錯乱状態に陥ること必至。

 

後悔

あと、失敗するとめっちゃ「後悔」しますよね。

 

「どうしてミスったんだろう...ウジウジ」

「自分って無能なんだろうか...ウジウジ」

 

そして、負の感情が渦巻き、とうとうメンヘラになってしまう...

 

 

 

後ろ向きと前向き

以上の「非難」と「後悔」とに共通することは、思考が後ろ向きだということです。

 

過去見ちゃうのね 

 

逆に、「解決策を探る」行為は、思考が前向きです。

 

要するに、ベクトルが真逆なのだ!

 

だから「非難」や「後悔」みたいなウジウジ思考は、前向き思考を邪魔する。すんごくたちが悪い悪魔です。

 

本当によろしくない。大変よろしくない限りです。

 

「鈍感力」とは何か

「鈍感力」とは、

 

後ろ向き思考である「非難」や「後悔」をうまくかわして、視点を前に向ける力

 

だと考えます。

 

シュッッッ( 一一)

 ↑非難や後悔をかわす音

 

からの

 

はい、切り替えてこー、はいっはいっ、はいいいいいーーーー次ね。次。

 

ということです。

 

「鈍感力」がなぜ重要か

「非難」や「後悔」には生産性がありませんが、「解決策を探ること」には大きな生産性があります。

 

つまり、

 

不毛なことは考えない方がいいよな!? 意味のあることを考えた方がイイヨな?? 

 

ということかな。適当過ぎます???

 

どうすれば「鈍感力」がつくのか

「鈍感力」をつける具体的な方法はざっくり書くと、

 

  • 周囲の「非難」に対処する方法:無視安定の術
  • 自分の「後悔」をやわらげる方法:後悔のビジュアル化
  • 身体をゆったり使おう
  • 睡眠

 

の4つ。

 

順番に紹介していきますね!

 

周囲の「非難」に対処する:無視安定の術

人の失敗を非難してくる奴って、大体、

 

  • 現実味の無い建前論
  • 論理性に欠けた感情論

 

のどっちかです。

 

だから、こういうのは

 

無視安定。

 

どうせ、そいつらが同じ状況下にいたら、おんなじミスするだから。

 

だから、非難してくる人を見たら

 

「お前には関係ない」

 

と心の中で言っていれば良いんです。(勿論声に出しちゃだめですよー)

 

ホリエモンもこんなことを言ってることですし。

 

誰かがあなたについてどう思おうが、それは自分の問題ではなく、相手の問題だ。

他人が誰を嫌おうと、何を考えようと、それはあなたの人生にはかかわりのないことだ。

ー『本音で生きる』堀江貴文

 

自分の「後悔」をやわらげる方法:後悔のビジュアル化

後悔してるときはメンタルがめっちゃ消耗するのって、僕だけでしょうか?

 

いや、同じような実感がある人は多いと思います。

 

この対処法に関して、齋藤孝さんが良いこと言ってるので引用します。

 

その癖をつけるために一番いいのは、後悔している時、エネルギーの猛烈な漏れが生じている図をビジュアル化することだと思う。

(中略)

たとえて言えば、穴のあいた米袋から、猛烈な勢いで米粒が落ちていくイメージだろう。米袋から米が落ちたら、誰だってあわてて止めるだろう。それなのに、気持ちのエネルギーはなぜ止めないのだろうか?

ー『前向き力』齋藤孝

 

齋藤孝さんの考え方から学べることは、 

 

後悔したらヤバい! という事実を、ビジュアル化して具体的に意識しようぜ!

 

ということです。

 

是非やってみて下さい。

 

身体をゆったりと使おう

失敗してヤバい! というとき、呼吸が速くなったり、鼻や口を手でさわりまくったり、とにかく落ち着きがなくなります。

 

ですから、意識的に呼吸をゆっくりとし、おおらかに体を使うことが大事です。

 

身体と精神は密接に結びついていますから、身体の動きをゆったりすることで、結果的に心もおおらかになるのです。

 

寝よう

何も考えず、寝る。

 

起きたらケロッとしていることなんてザラにあります。

 

睡眠は、正義。

 

これから「睡眠は正義」の話をしよう(しない) 

 

まとめ

記事の内容をざっくりとまとめて終わりにします。

 

  • 周囲の非難や自身の後悔が、解決という前向き思考を邪魔する
  • 「鈍感力」とは「非難」や「後悔」といった後ろ向き思考をかわし、視点を前に向ける力である
  • 「鈍感力」は不毛なことを考えない、という意味で重要である
  • 「非難」に対しては、無視安定である
  • 「後悔」はビジュアル化しよう!
  • 身体をおおらかに使おう!
  • 寝よう!

 

です。

 

「鈍感力」をいち早く身につけ、失敗を成功に変えるスキルを磨いていってください!

 

最後に、この記事を書くにあたって参考にさせていただいた本を紹介いたします。

 

 『本当に役に立つ「失敗学」』畑村洋太郎

『前向き力』齋藤孝

『本音で生きる』堀江貴文

失敗を次に生かすためのたった3つの心得

何もかもみんなしくじったのは

どれもこっちのてぬかりからだ

電燈が霧のなかにつきのこり

川で顔を洗ふ子と

橋の方では太くたつ町の黒けむり

 

――『何もかもみんなしくじったのは』宮沢賢治

 

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人間、普通に生きていれば失敗しますよね?

 

ほんの些細なものから、「こいつぁ、とんでもないことをしてしまった...!!!」というものまで、生きてればいろいろありますよね?

 

どんな優秀な人だって失敗するときは失敗する。そう信じたいですよね。

 

というか、そうでないと困るんだよナァ!

 

とにかくみんな失敗する。それでいいんですよ。

 

そう考えると、偉い人っていうのは、失敗を上手く次に生かせる人ってことになる。

 

だから、この記事の目的は、失敗を次に生かす方法を考えようぜ! というところにあります。

 

ということで、本題に入るネ!

 

失敗の原因を探り、解決策を考える

失敗をした時、「何で失敗したんだろう?」という疑問を持つことがすごく大事だと思うんです。

 

例えば、家族に玉子焼きを作ったら、めっちゃしょっぱくて大ブーイングを食らった! ということが僕にはあったんです。(馬鹿でしょう?)

 

それで、「ちゃんとレシピみたのに何でこうなってしまったんだろう?」と原因を探していたら、砂糖と塩を間違えたことが分かったんですね。

 

あと、砂糖と塩を全く外見が同じ容器に入れていたことも原因だった。

 

だから、ちゃんと容器の外側に「砂糖」とか「塩」とか中身を書くことにしました。

 

そうすることで、次からは絶対に間違えません。

 

というか、砂糖と塩を見分けられない時点で馬鹿なんだけど!!!

 

でも、当時はそんなことはまったく分からないわけで、容器に中身を書く対策で精いっぱいだった。

 

でも、今思えば、そういう健気な対策があったからこそ、砂糖と塩を見分けることができるようにもなったわけです。

 

本質の見えていない原因検索と対策であっても、それをすることでもっと本質的な問題が浮かび上がってくることもあります。

 

だから、原因検索と対策はどんなにクオリティーが低くてもやるべきだと思う!

 

ちなみに、失敗した原因を分析する方法は、以下の記事に詳しく書きました。

 

少しでも原因分析の精度を上げるための知恵を書いたつもりです。

 

vagusnerve.hatenablog.com

 

 

失敗について人と話す

失敗したときって、自分の部屋にこもってうじうじ考えちゃうこと、ありません?

 

「あー自分はダメだ...」

「どうすれば...」

「なんでこんなことになってしまったんだ...」

「誰も助けてくれない...」

「つらくなってきた...」

 

かといって、「大丈夫なの?」と聞かれると、

 

「大丈夫! 自分で何とかするからっ!(^^)!」

 

と気丈にふるまう。

 

イヤ、そういうの良いから!!!!

 

相談しよ、相談。人に打ち明けようよ、それ。

 

悩めるワタシ♡ 辛いけど人には迷惑をかけない健気なワタシ♡

 

とか、そういうのが一番めんどくさいから!!

 

さっさと人に話しましょ。

 

人に話すといいことがいっぱいあります。

 

まず、人に話すだけで心が軽くなります。これは本当に大きい。

 

あとは、人にもよるけど、慰めてくれて神! ってなります。

 

次に、相手の頭の良さによるけど、原因と解決策を分析してくれて神! ってなります。

 

最後に、相手がマザー=テレサかどうかによるけど、解決するお手伝いもしてくれて神! ってなります。

 

とにかく人には聞いてもらうべきです。ちょっとした失敗ならネタにしてしまうこともできるし。

 

失敗した事実に鈍感になろう!

さっきも言ったと思うけど、失敗して一番問題なのは、自身がなくなっちゃうことだと思うのです。

 

つまり「失敗を背負ってしまう」わけです。

 

例えば、ボーリングをやっていて、

 

「さっきは失敗したなぁ」

「上手く投げたつもりなのにガーターだった」

「次もおんなじ失敗をしちゃう気がする...」

「さっきで変な癖がついっちゃったかなぁ」

 

とか、うじうじ考えていて、次のボールがストライクになるわけがない( *´艸`)

 

そうやって失敗を背負っているときって、今やるべきことに集中できていないんですよ。

 

これでは失敗を生かすもくそもない。

 

さっきやらかした失敗のことを考えている暇があったら、次に投げるボールに100%神経を集中させろよ! ということです。

 

では、逆に上手く失敗を生かせる強者は、こんな感じです。

 

―――

 

10:00 一投目終了。一投目はガーターだった。

 

インタビュアー「今のボールについてご感想は?」

強者「失敗でした。少し体幹がぶれてしまったことが原因でしょう。フォームがおかしかったからあもしれません。次は綺麗なフォームを意識したいです。」

 

10:05 他の選手の投球のため、しばらくお休み。

 

10:10 二投目スタンバイの時間

 

インタビュアー「先ほどは残念でしたね! 二投目はどうするのでしょうか?」

強者「先ほどは残念だった? さっきどんな投球をしたか、よく覚えていないね。とにかく今回は綺麗なフォームを意識したい。」

 

――

 

つまり、失敗の原因とその解決策だけを覚えていて、失敗の事実に対して鈍感になっていると言えます。

 

失敗の原因と解決策を記憶することは、あなたにとって大きな財産になります。

 

しかし、失敗した事実自体は財産になりません。

 

失敗を生かすには、失敗した事実に鈍感になるべきです!!! 

 

僕はこの力を「鈍感力」と名付けています。詳しくは以下の記事に書きました。

 

vagusnerve.hatenablog.com

 

 

 

まとめ

それでは、この記事のまとめです。

 

  • 失敗の原因を検索し、解決策を見つけること
  • 失敗について人と話すこと
  • 失敗の原因と解決策だけを覚え、失敗した事実は忘れてしまうこと

 

少々偉そうなことを書いたかもしれませんが、少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。

本を読むと語彙が増えるのか

最近よく本を読むようになって実感していることだが、本を読むと語彙が増える。

一冊読むごとに知らない語彙が1つ2つあるので、週に4冊読んでいる僕は週に大体6個くらいの新しい語彙を習得している計算だ。

僕は本を読む今の生活が大変気に入っているので、今後も週に4冊読み続けると思う。

すると、1年後にはどうなっているだろうか。

365 ÷ 7 ≒ 52

1年は52週間である。すると、

52 × 6 = 312

となる。つまり、1年後は今よりさらに312個の語彙を習得することになる。

仮にあと60年生きるとして、死ぬまでにどのくらいの語彙を得られるのかというと、

312 × 60 = 18720

より、約1万9千語の語彙を得られる。

ははは、凄いじゃないか。やっぱり本読むと語彙が増えるね。

物井「旦那、それはおかしいですぜ」

ん? なんだね物言いで定評のある物井君。

私の計算のどこに問題があるのだね。

物井「今、1週間に6語も語彙を得られるのは、お前さんがバカだからなんだぜ?」

おっと、人聞きの悪い。

物井「一冊の本を読んで、新たな語彙を得られる確率は、語彙が豊かになればなるほど下がる」

ほう、たしかにその通りだ。

物井「しかしお前さんは、週に6語覚えられると言った。きっと毎週毎週、同じ数の進出語彙に出会っている、と感じているからだろう。」

そうだな。

物井「本来ならば、本を読んで得られる語彙は、時が経つにつれて減少していく筈だ。それを実感として感じていてもおかしくない。」

うむむ

物井「もし、そう言った実感がないのならば、可能性は2つしかない。」

良いから早く言え

物井「お前さんが知らない語彙があまりにも多すぎて、ちょっと覚えたところで確率が変動しない可能性とお前さんが感覚が麻痺している不感症だという可能性の2つだ。つまりバカ。」

ううう...少なくとも前者でありたい...

物井「なるほど。すると今はバカだが、継続していくことで利口になるというわけだな。それならば、60年で1万9千では計算がおかしい。もっと少なくなるだろう。ま、どっちにしろこの事に気づかなかったお前さんもバカなんだがな」

なんと!

しかし...さっきの計算がおかしいとして、実際のところ60年後にはどのくらいの語彙が増えているのだろうか。

枡間竹君という数学の天才に今度聞いてみたい。

自分の意見を持つうえで大事なこと

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伊坂幸太郎の小説『魔王』の冒頭に、以下の二つの言葉が引用されていました。

 

For times they are a-changin' (とにかく時代は変わりつつある)

――Bob dylan " Times they are a-changin' "

 

時代は少しも変わらないと思う。一種のあほらしい感じである。

――太宰治『苦悩の年鑑』

 

こういうのを見せられると、「ふふふっ」と笑ってしまいます。

 

こんなのもあります。

 

他人のことがわからなくて、生きられるわけがない。

――養老孟司バカの壁

 

 

他人のことなんて、ほうっておけばいいのだ。

――堀江貴文『本音で生きる』

 

 

これは、自分で見つけました。自分で見つけてほくそ笑んでいます。

 

 

 

意見の違いは切り口の違いに過ぎない

円錐を想像してください。

 

円錐を横に切ると、その断面は円になりますね。

 

一方円錐を縦に切ると、断面には三角形が現れます。

 

もとは同じものであっても、断面は異なるのです。

 

人によって意見が異なるのは、これと同じだと思います。

 

同じ世界(=円錐)を見ていても、人によって見方(=切り口)が違えば、意見が異なるのは当然でしょう。

 

 

どちらも納得している

冒頭に「意見が合わないね」と引用した言葉に関してですが、僕は全部納得しています。

 

ボブディランの「時代が変わり続ける」という感覚も、も太宰治の「時代は少しも変わらない」とう主張も、どちらも分からなくはないです。

 

養老孟司の「他人を知れ」という意見も、堀江貴文の「他人のことはほうっておけ」という意見も、どちらも一意見として認められます。

 

何故互いに反する意見のすべてに納得できるかというと、その意見に至るまでの「過程」があるからです。

 

人によって、持っている知識も違うし経験も違うから、当然物事を見る「切り口」が違います。

 

だから、「この人の切り口はこうなんだな」と分かってしまえば、その論理展開の過程を一定の納得感のもとに追っていくことができるため、最終的に導かれた意見を自然に受容することができるのです。

 

意見は過程が大事

以上のことからこんなことが言えるのではないでしょうか。

 

最終的にどんな意見を持っていても、その過程さえしっかりしていれば問題ないのです。

 

人間誰しも、自分の意見を誰かに反対されるのではないだろうか、という不安を感じます。

 

しかし、意見というのは最初から合わないものなのです。

 

ですから、どうせ合わないのなら、むしろ、自分がその意見を持つに至った過程を相手に理解してもらうことが大事なんだと思います。

 

反対の声を恐れない

何か意見を持つと必ず反対の声が出ます。

 

しかし、それらの多くには耳を貸す必要はない。

 

反対者の多くは、あなたがその意見に至った過程を無視し、結論だけ見て攻撃してくることがほとんどだからです。

 

そういう奴らは、「意見は『切り口』によって変わってくる」という最も重要なことをわかっていない。

 

ですから、そんな奴らは無視すればよいのです。

 

一方、しっかりとした過程がないまま意見を持っているのであれば、それはあなたが悪いです。

 

くれぐれも、その点は気を付けた方が良いでしょう。

 

とにかく、意見というのは、本質的にはそれを導き出すまでの過程が重要だと僕は思っています。

 

※最後にこの記事を書くにあたって参考にさせていただいた(引用した)本を書いておきます

伊坂幸太郎『魔王』

養老孟司バカの壁

堀江貴文『本音で生きる』

太宰治全集

太宰の小説観と僕の提唱する小説危険説の親和性

太宰治がこんなことを言っているから面白い。

 

小説と云うものは、本来、女子供の読むもので、いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではないのであります。

 

ここで僕はクスッと笑ってしまい、先を読みたくて仕方ないと思ったのですが、あえてここで本をパタリと閉じ、ブログの編集画面を開きました。 

 

太宰に刺激されたからかもしれませんが、小説は危ない、と思うことがあります。

 

なぜかと言うと、1つの考え方に引き込まれてしまう危険性を感じるからです。

 

例えば、幼児であれば『アリとキリギリス』を読んで努力型の人間こそ素晴らしい、という考え方に引き込まれますし、大人であれば、三浦綾子の『塩狩峠』を読むと「なんてキリスト教は素晴らしい教えなんだ」と自然に思うようになります。(キリスト教が危険というわけでは決してない)

 

あと、ドラマではありますが、『半沢直樹』を見て、上司に立てついた若手サラリーマンが増えたとか。

 

一部の小説家は、自らの世界観に読者を巧みに囲い込み、その思想を浸透させようとしてくるのです。

 

そしてそれを読む読者は「作者の思想に染まった」とは気づかないことが多いんですね。

 

なぜかと言うと、作者はその思想を自分の思想としてではなく、作中の人物の思想として表現しているからです。

 

普通、新書などで作者が「私はこう思います」という主張をした場合、我々読者はその主張に対して「本当にそうなのか?」という疑いの目を忘れることはありません。

 

しかし、小説になると話が変わってくる。

 

読者はその思想を、登場人物が考えていることだ、と勘違いするために、拒絶反応を示さない傾向があるのです。

 

日常生活でも、気持ちが通じ合う人の考え方は簡単に受け入れてしまうことが多いと思いますが、小説を読んでいると勝手に登場人物と気持ちを通じ合ってしまうんですね。メカニズムが似ていると思いませんか?

 

だから、小説を読むときに大事なのは、話半分で読むこと、だと僕は思います。

 

ははは、なんか過激な事いってらぁww

 

くらいに思って、小説に書いてあることは右から左に流してしまうのが良いんだと思います。

 

別にそうやって読んだとしても、小説の面白さは変わらないし。

 

再び太宰治

 

ここで僕は再び本を開いたわけですが、太宰治は僕の意見を補強するかのように小説をバッサリ斬っていて面白かったです。

 

冒頭の引用の続きですが、

 

小説を読んで、襟を正しただの、頭を下げただのと云っている人は、それが冗談ならばまた面白い話柄でもありましょうが、事実そのような振舞いを致したならば、それは狂人の仕草と申さなければなりますまい。

 

小説から教訓を得るなど馬鹿らしい、そいつは狂ってる、と言っているわけです。

 

毒舌すぎてもはや爽快さを感じるレベル。こういうの、僕は大好きなんですよ。

 

さらに追い打ちをかけるように、太宰は評論家をこき下ろします。

 

小説と云うものは、(中略)以て婦人のシンパシーを買わんとする意図明々白々なるにかかわらず、評論家と云う馬鹿者がありました、それを捧げ奉り、また自分の飯の種にしているようですから、呆れるじゃありませんか。

 

小説の書評記事を書くなど、大馬鹿者野郎だ、と。

 

口を開けば悪口雑言、ブロガーの敵ですね(笑)

 

太宰治と小説危険説 

 

小説は危険だから話半分で読もうぜ! という小説危険説と、小説は利口な大人が目の色を変えて読むものではない、という太宰の考え方は「小説って適当に読み流す程度のもんだよね」という部分で似ています。

 

だから偉大なる太宰治と自分を並べるのを許していただくとすると、小説観に関しては僕の小説危険説と太宰の意見は親和性があると思います。

 

 

ただ、ちょっと小説の書評記事書きにくくなっちゃったけどね(笑)

 

おわり。