なにもしたくない
とにかくなにもしたくない
まず明日のテスト勉強をしたくない
毎日やってる英語の勉強だが、今日はやりたくない
じゃあ本を読みたいか、というと、面倒なので読みたくない
映画を観たいか? というと、面倒なので観たくない
音楽を聴きたいか? と言われても、特に聴きたい音楽もないしめんどくさい
つまり、何もかもが面倒でやりたくない
ところで、何もかもが面倒だと言っているのにブログを書いています
本当はさっきまでブログを書くのも面倒だと思ってたので、いまブログを書いているのは奇跡、意味分かんないですよね? 僕にもわかりません。
なにもしたくないってなんなのか?
なにもしたくない、という感情はどういう背景から出てくるのか?
なにもしたくない、って本当になにもしたくないのか?
なにもしたくない、の正体を探るべく、、、別になにもしない訳であるが、
そもそも、なにもしたくない、という感情を分析すること自体に難しさがあることに今気が付きました
なにもしたくない、という感情を分析できるのは、正真正銘、なにもしたくない時に限られる、という厄介な現実があります
なにもしたくないということは、考えることも嫌だ、ということですよね
なにもしたくない、ということの真髄を考え始めたら、もはや何かしていることになる。
なんだこれは?????
もはや僕は人類史上最も難しい哲学的命題を見つけてしまったのではないか?
きっと誰もが解決できなかったであろう人類最強の命題
「なにもしたくない、とはどういう状態なのか」
とりあえず言えることは、なにもしたくない〜、という時でも斎藤飛鳥からデートのお誘いがあったら、行くぅぅぅぅぅぅ♡♡♡ ってなります。
こちらからは以上。