自分の意見を持つうえで大事なこと
伊坂幸太郎の小説『魔王』の冒頭に、以下の二つの言葉が引用されていました。
For times they are a-changin' (とにかく時代は変わりつつある)
――Bob dylan " Times they are a-changin' "
時代は少しも変わらないと思う。一種のあほらしい感じである。
――太宰治『苦悩の年鑑』
こういうのを見せられると、「ふふふっ」と笑ってしまいます。
こんなのもあります。
他人のことがわからなくて、生きられるわけがない。
他人のことなんて、ほうっておけばいいのだ。
――堀江貴文『本音で生きる』
これは、自分で見つけました。自分で見つけてほくそ笑んでいます。
意見の違いは切り口の違いに過ぎない
円錐を想像してください。
円錐を横に切ると、その断面は円になりますね。
一方円錐を縦に切ると、断面には三角形が現れます。
もとは同じものであっても、断面は異なるのです。
人によって意見が異なるのは、これと同じだと思います。
同じ世界(=円錐)を見ていても、人によって見方(=切り口)が違えば、意見が異なるのは当然でしょう。
どちらも納得している
冒頭に「意見が合わないね」と引用した言葉に関してですが、僕は全部納得しています。
ボブディランの「時代が変わり続ける」という感覚も、も太宰治の「時代は少しも変わらない」とう主張も、どちらも分からなくはないです。
養老孟司の「他人を知れ」という意見も、堀江貴文の「他人のことはほうっておけ」という意見も、どちらも一意見として認められます。
何故互いに反する意見のすべてに納得できるかというと、その意見に至るまでの「過程」があるからです。
人によって、持っている知識も違うし経験も違うから、当然物事を見る「切り口」が違います。
だから、「この人の切り口はこうなんだな」と分かってしまえば、その論理展開の過程を一定の納得感のもとに追っていくことができるため、最終的に導かれた意見を自然に受容することができるのです。
意見は過程が大事
以上のことからこんなことが言えるのではないでしょうか。
最終的にどんな意見を持っていても、その過程さえしっかりしていれば問題ないのです。
人間誰しも、自分の意見を誰かに反対されるのではないだろうか、という不安を感じます。
しかし、意見というのは最初から合わないものなのです。
ですから、どうせ合わないのなら、むしろ、自分がその意見を持つに至った過程を相手に理解してもらうことが大事なんだと思います。
反対の声を恐れない
何か意見を持つと必ず反対の声が出ます。
しかし、それらの多くには耳を貸す必要はない。
反対者の多くは、あなたがその意見に至った過程を無視し、結論だけ見て攻撃してくることがほとんどだからです。
そういう奴らは、「意見は『切り口』によって変わってくる」という最も重要なことをわかっていない。
ですから、そんな奴らは無視すればよいのです。
一方、しっかりとした過程がないまま意見を持っているのであれば、それはあなたが悪いです。
くれぐれも、その点は気を付けた方が良いでしょう。
とにかく、意見というのは、本質的にはそれを導き出すまでの過程が重要だと僕は思っています。
※最後にこの記事を書くにあたって参考にさせていただいた(引用した)本を書いておきます
伊坂幸太郎『魔王』
堀江貴文『本音で生きる』
太宰治全集