会話形式をやってみた
今日は新たな試みをしたいと思っております。
ということで、本日のゲストの内藤さん・本郷さんです!
内藤「ただいまご紹介に預かりました、内藤です。ブログの筆者が、ブログに会話形式を取り入れたいと懇願するので引き受けた次第です。私のようなもので務まるのかと大変心配しておりますが、精いっぱいやらせて頂きます。」
本郷「なぜ俺はここにいるのでしょうか。早く帰りたい。」
はい! お二方ありがとうございます。
早速ですが、本題に入りたいと思います。
ブログを会話形式にする利点・欠点は何ですか?
本郷「会話形式だと読みやすくなるよね。」
内藤「テンポが良くなるんだよ。話が軽やかに進んでいくから。」
本郷「俺もそう思ってたけどさぁ、早くも筆者のタイピングがここで止まってるんだ」
内藤「残念ながら、テンポよく読めてもテンポよく書くことは出来ないってことなのか?」
本郷「どうやら、そういうことらしい。第一、筆者はコミュ障だ」
内藤「コミュ障が対話体のブログ書いてるの面白いな」
本郷「全くの同意だね。でも、これやっているうちに筆者のコミュ障も治るんじゃないの?」
内藤「それは一理ある。苦しんで強くなって行け、と言ってあげたいね」
うるせぇうるせぇwww
本郷「筆者がなんか言ってるよ」
内藤「『うるせぇうるせぇ』だって。コミュ障だからそれしか言えないらしい」
本郷「残念なひとだなぁ」
内藤「ところで、会話形式って筆者の責任逃れの言い訳になるよね」
本郷「いきなり話が難しくなったぞ。小学生にもわかるように説明してくれないか?」
内藤「お前は小学生か」
本郷「いやいや、そいうことじゃなくて、対話体にしたら小学生も読者のターゲットにできそうだから」
内藤「なるほど、君はずる賢い。で、話を戻すが筆者の責任逃れのことだ。何故責任逃れかというと、発言の責任を本郷と私になすりつけられるからなんだ。」
本郷「ハハア、読者から批判があっても、筆者の野郎は『これは僕の意見ではなく、登場人物の内藤君の意見です』と言い逃れができる。」
内藤「小説とかドラマの手口と同じだよ。製作者は自分の意見を登場人物に言わせるんだよ。そしたら読者視聴者が勝手に感情移入してくれるっていうカラクリだ」
本郷「意外と筆者も頭が良いんだな」※
※あくまでも本郷さんの発言です
内藤「そういえば、会話形式って上手くやれば弁証法っぽくできるよね」
本郷「なんだベンショーホーって???」
内藤「齋藤孝の本に書いてあったんだけど、
弁証法とは、ひと言で言えば、正・反・合のステップによる論理展開法のことです。つまり、あるテーマに対して、まず「正」である賛成意見を述べ、続いて「反」である意見をぶつ議論形式にする。最終的には議論の成果である「合」を述べる、というやり方です。
なんだって。」
本郷「頭よさそう。。。」
内藤「筆者の一人が語りで弁証法やるの難しそうだけど、会話形式だとやりやすいんじゃないかと」
本郷「確かにそうかもしれない。我々二人が喧々諤々の議論をして、筆者は高みの見物を決めるわけだね。
内藤「しゃくに障るね」
本郷「仕方ないよ。我々の実態は筆者なんだから」
内藤「それを言ってはおしまい」
話の収拾がつかなくなってしまうのが結構つらいです(笑)
政治家を呼んで議論させてる番組の司会者の気持ちが分かる(大嘘)
とりあえず、今日はおわり!