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「天は人の上に人を造らず」って福沢諭吉の主張じゃなくね?

福沢諭吉と言えば『学問のすゝめ』で有名です。特に冒頭の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という一節は小学生でも暗唱できると思います。

 

僕は昔からこの言葉が凄く嫌いで、福沢諭吉が大嫌いだったんですね。

 

現実には全然平等じゃないのに、福沢諭吉は「みんな平等だ」とかいう自由平等論をかざすなんて、とんでもない偽善者だな、といった具合です。

 

しかし、僕の方がバカだったんです。今まで一回も『学問のすゝめ』を読んだことが無かったくせに、そんなこと思っていましたから。一次資料を読まずに伝聞で判断するバカ。

 

実際、冒頭を読んでみると

 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり

 

となっています。全然意味が違うではありませんか!

 

どういうことかは、訳してみると分かります。

 

訳は

 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言われている

 

となります。

 

この書き出しは、評論文によくある「一般論はこうだけど俺はそうは考えてないぜ、俺、頭が良いだろう! ふっふっふ」的な香りをぷんぷん漂わせています。

 

そう。これはその後覆される一般論なのでした。

 

ちなみに、調べてみたら「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は「アメリカ独立宣言」の文言らしいですね。"all men are created equal"ってやつです。

 

実際、福沢諭吉はつづきにこう書いています。

 

されども、今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。

 

ちゃんと「実際はそうじゃないよな!」という分析してます。諭吉先生もそんなにバカじゃない。

 

そして、もっとも言いたいことが次にくるのです。

 

『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

 

ざっくり意味を取ると、賢い人と馬鹿な人の違いは勉強したかどうかによるよな! って感じで、まあ意見としては納得できる。

 

というか、この考え方って日本社会に広く浸透していますよね。小さいころは努めて勉強しなさい、と周りから口を酸っぱくして言われますから。

 

皆の共通認識としてあるから、一万円札に載せてもらえたんじゃないかな? みたいな。

 

どちらにせよ、諭吉先生は自由平等論者ではなかったみたいです。

 

ちゃんと一次資料を読まないとな、と痛感した出来事でした。

 

 

 

 

そんじゃ、あの。