継続の力を考える。ブログ名変更についてもちょっと。
すごく久しぶりに書きます。ブログ、あまり続きませんでした。始めた当初はブログ自体を楽しんでいたのですが、次第に「良いものを、良いものを!」と気負うようになり、その気負いが自分を潰してしまったんですね。
今日は「継続の力」について考えてみたいと思います。とりあえずしばらくは、なぜ継続できなかったのかについての自己分析が続くと思います。
続かなかった理由
それは「読者への過剰な意識」だと思います。
最初は「初心者意識」みたいなものがあって、「いくら記事の質が低くてもいいや!」という気楽さがありました。どのように書くと読者からの反応が得られ、逆にどのように書くと読者からの反応が得られないのか、良い意味でも悪い意味でも最初は知りませんから、結果を気にせずとにかくやってみることが第一だという思考ができました。
しかし、少しブログに慣れてきて読者からの反応がある程度得られるようになると、急にそれを意識するようになってしまいました。
そもそも人に読んでもらうためにブログを書いているわけですから、読者を意識することは自然なことだと思います。読者を意識することで、伝え方を工夫しようという意識が芽生える利点もあります。
一方、読者への意識には悪い面もありました。僕のブログが続かなかった原因でもありますから。それが「過剰」だったのも大きいと思います。
読者への過剰な意識により、どのような弊害が出てしまったかを箇条書きにしてみました。
- はてなスターやSNSなど毎回の記事の反応に一喜一憂するようになった
- 作文の方法論にとらわれ、自分の表現を見失った
- インプットをしなければという強迫観念にとらわれた
- 人への価値提供にこだわり、自分の楽しみを軽視するようになった
等
とりあえずこんな感じの弊害が思いつきました。
一番重要なのは、4つ目の「自分の楽しみを軽視するようになった」ことだと思います。なぜ重要かというと、継続に「楽しみ」は大事だからです。ここでいう「楽しみ」は、友達と遊んだりテレビを見たりする時の楽しさというよりは、むしろ、自分が思ったことや考えたことを人にさらけ出す「自己開示の楽しみ」という要素が強いと思います。別の言葉で言えば「承認欲求をみたす楽しみ」ということになりますし、さらに踏み込めば「自己陶酔の楽しみ」とまで言えるかもしれません。
文章を書くことはストレスフルなことです。「生みの苦しみ」があるからです。普通にやってたら絶対に続かないでしょう。だから、「生みの苦しみ」よりも、人に読んでもらう「楽しみ」のほうが大きくなるように工夫することが重要です。
しかし、自分は「楽しみ」を軽視していました。その結果、「生みの苦しみ」と「楽しみ」のバランスが崩れ、ブログが辛くなってしまいました。
自分の「楽しみ」も重視していきたい
「価値提供」はブログを書くうえで重要な考え方ですが、「自分の楽しみ」とのバランスは常に考える必要を感じました。そもそも「価値提供」対「自分の楽しみ」を対立軸にすること自体、慎重を帰す必要がありそうですが。「価値提供」と「自分の楽しみ」が両立する可能性も否定は出来ないでしょう。もしそうであれば「自分の楽しみ」を重視することは悪いことではなくて、むしろ積極的に推奨されることかもしれません。
継続の力とは
「継続の力」とは「楽しむ力」と言うことができるかもしれません。どんなに辛いことでも、それを超える「楽しみ」があれば「続けたい!」と自然に思えるでしょう。もちろん、継続に必要な要素はそれだけではないと思いますが、「楽しむ力」を意識することで「継続の力」は強くなると思うのです。これが今日の僕の結論です。
しかし、「楽しむ力」はとても難しい技術です。物事に「楽しみ」を感じるかどうかは、自分の内部の問題が大きいからです。同じことをしていても、自分の考え方・気持ち次第で「楽しい」とも「退屈だ」とも感じられます。人には頼れない部分であり、自分で何とかしなければならない難しさがあります。
自分で何とかしなければならない、といっても、そこには必ずコツがあると思います。どんなコツがあるか、僕の考え方はまとまりきっていませんが、今後考えを深化させていきたいと考えています。それを逐一書いていきたいと思っています。
ブログ名変更について
以前の「森見ますお百貨店」には多少の気負いを感じるので、ずっとやめたいと思っていましたが、特に代替案もなくずっと据え置きにしていました。
最近、「自分が気づいたことをブログに書いて整理できたらいいな」という思いが強まり、「それをブログ名にすれば、それ自体が自分の率直な思いなのだからすっきりするではないか!」という風になって変更に至った、ということです。あまり大したことないですけど、なんか心が楽になった気分です。今後ともよろしくお願い申し上げます。