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通勤電車では『資本論』を読むべきだ

一年前くらいだったと思う。

 

ある朝、通勤電車に揺られながら僕は本を読んでいた。

 

資本論』、そう、マルクスの『資本論』を読んでいた。

 

 

大学の課題で読まされていたのだが、全く意味が分からなかった。

 

この人は何を言っているのか。

 

文字はわかる。すべて知っている文字だ。

 

でも、文にされると何を言っているのか全く分からない。

 

日本語弱者には辛いものがあった。

 

レポート提出は一週間後。

 

こんなの絶対無理だ。

 

心が折れ、ふと周りを見渡した。

 

目の前の全身ピンクのおばあちゃんがスマホをいじっていた。

 

なんも面白くねぇ。

 

右のスーツを着た人は、スマホをいじっていた。

 

こいつもか。

 

左の白髪のおじいさんは、、

 

 

 

スマホをいじっていた。

 

こいつもか!

 

右斜め前の高校生も、

 

左斜め前のおっちゃんも

 

後ろにいるマダムも

 

みんなスマホをいじっている。

 

 

もし、あなたが今電車にいたら、周りを見渡して頂きたい。

 

十中八九スマホをいじっている筈だ。

 

よく考えたらあまりにも気持ちが悪い光景だ。

 

 

いつもは自分もこの風景の一員なのか...

 

これが、現代社会というものなのか...

 

スマホが無いと生きていけない人も多いのだろうか...

 

スマホ依存、歩きスマホ、そして交通事故。

 

これに限らず、スマホに関する様々な問題が頭をめぐった。

 

しかし、もう一つのことに気がついた。

 

この空間で『資本論』を読んでいるのは自分である。

 

まわりはみんなスマホをいじっている。

 

自分だけが『資本論』を読んでいる。

 

内容は理解できないが、読んでいることだけでも意味がある。

 

僕はスマホなんかいじらず、マルクスを勉強しているのだ。

 

なに、反論があるだと。聞いてやろう。

 

なに、日本経済を俯瞰するために日経の電子版を読んでいるだって?

 

はっきり申し上げましょう。

 

お前は『資本論』も読まずに経済ニュースを理解できると思っているのか。

 

その答えは、否。

 

そう、ここにある本が経済学のエッセンス。

 

資本論』程度の本を読破できないで、どうして日本経済の全体像が分かるのでしょうか。

 

 

 

まわりの人間がどんなにスマホを活用しようとも、『資本論』を読む僕には勝てない。

 

 

優越感。

 

僕はおもむろにブックカバーを外した。

 

周囲からの驚きの視線。

 

周囲からの驚きの(心の)声。

 

(すげぇ)

 

(わたし、スマホやめよ)

 

(俺たちが間違っていた)

 

資本論よも)

 

(もうスマホに頼らない!)

 

目の前のピンクのおばあちゃんは涙を流している。

 

その日から、僕は毎日電車で『資本論』を読んでいるし、電車で『資本論』を読んでいる学生風の男がいたら、十中八九僕である。

 

人とは違うという優越感や他者からの承認は自己肯定感を生み、それによって学業、仕事の効率は大幅に向上する。

 

それは電車の中で『資本論』を読むだけで達成されるのである。

 

さあ、あなたも電車の中で『資本論』を読むのだ。

 

 

 

 

 

(『資本論』のレポートは不作で、見事落第しました。)

 

2017/5/16 森見ますお